that’s right!

 十二月のこと、ヨークシャを旅行の途上、長い道程をわたしは驛傳馬車の御厄介になつたが、それはクリスマスの前日であつた。馬車は内も外も乘客が混みあつてゐた。その語りあふところから見ると、行先は主に親戚友人の家でクリスマスの御馳走になりに行くのらしかつた。馬車に積込まれたものとしては、また狩獵の獲物の入つた大籃や、珍味を詰めた箱などもあつた。野兎が長い耳をぶらぶらさせて馭者臺の周圍に吊されてゐた、遠方の友人からの贈物で、差迫つた饗宴の用に立てるのであらう。わたしは三人の美しい薔薇色の頬をした少年と一緒に、車内に乘つて行つた。少年たちの顏に溢れるはちきれさうな健康と、男らしい氣魄とは、わたしが今迄にも此の國の子供達のうちに見て來たものであつた。彼等は休暇で歸省の途上にあつて、いかにも陽氣で、これから澤山樂しいことが待つてゐるのだと勇んでゐるのだつた。聞いてゐるだに面白さうに、この小さな腕白たちはやたらに大きな計畫や、またやれる見込もない素晴しい遊びごとを、この六週間に演じようとしてゐたのである。

 その中に1898年になって,私はドイツへ留学を命ぜられてベルリンへまいることになりました.それは明治31年で,その年に日本最初の政党内閣(隈板内閣)が出来ることになって,内閣総辞職があったのですが,時の文部大臣の外山正一さんが辞職の際の置土産として,一年分の留学生十余人を一時に発表されて,私も幸いに其の中に加わって,予想外に早く出立することになったのである.
「洋行」は嬉しかったが,その時にベルリンへ行ったならば大変だと怖気(おじけ)を有(も)って行ったのである.それは西洋の学者を神様のように思っている時代であったし,殊にベルリンは,例のワイエルシュトラス,クロネッカー,クンメルの三尊の揃っていた隆盛時代の直後であった.その三尊はみんな亡くなって,後継者のフックス,シュワルツ,フローベニウスの時代になっていたのだが,何分数学といえばドイツ,ドイツといえばベルリンと言われていた時代で,そこへ素養もなく,自信もない,東洋の田舎者が飛び込んで行くのだから,怖かった.しかしベルリンへ行って見ると,フックスやシュワルツは,既に相当齢をとって日本ならば停年といわれる年頃であった.フックスの微分方程式の講義を聞いたが,それはクレルレ誌66号の自分の書いた論文の講義だけども,特異点まで届くはずの解の収斂円が,黒板の上では其処まで行かないで,立往生というようなこともあった.

風は止んだし
いやにあつくるしい夜だ
人通りもとだえて
犬の遠吠えだけが聞こえる
いやにおもくるしい夜だ
エーテルは一時蒸発を止め
詩人は居眠りをするような
いやにものうい夜だ
障子から蛾の死がいが落ちた

 
 
国産カラコンや安全なカラコンについて。
『日本製のカラコンって売ってるの?』はこちら
日本製のカラコンは通販で購入できます。

パギンスはレギンス感覚で着用できるパンツです。
パギンス