伊藤 野枝

 新らしい女は今迄の女の歩み古した足跡を何時までもさがして歩いては行かない。新らしい女には新らしい女の道がある。新らしい女は多くの人々の行止まつた処より更に進んで新らしい道を先導者として行く。
 新らしい道は古き道を辿る人々若しくは古き道を行き詰めた人々に未だ知られざる道である。又辿らうとする先導者にも初めての道である。
 新らしい道は何処から何処に到る道なのか分らない。従つて未知に伴ふ危険と恐怖がある。
 未だ知られざる道の先導者は自己の歩むべき道としてはびこる刺ある茨を切り払つて進まねばならぬ。大いなる巖を切り崩して歩み深山に迷ひ入つて彷徨はねばならぬ。毒虫に刺され、飢え渇し峠を越え断崖を攀ぢ谷を渡り草の根にすがらねばならない。斯くて絶叫祈祷あらゆる苦痛に苦き涙を絞らねばならぬ。
 知られざる未開の道はなを永遠に黙して永く永く無限に続く。然も先導者は到底永遠に生き得べきものでない。彼は苦痛と戦ひ苦痛と倒れて、此処より先へ進む事は出来ない。かくて追従者は先導者の力を認めて新らしき足跡を辿つて来る。そして初めて先導者を讃美する。

 私がYを初めて見たのは、たしか米騒動のあとでか、まだその騒ぎの済まないうちか、よくは覚えていませんが、なにしろその時分に仲間の家で開かれていた集会の席ででした。その時の印象は、ただ、何となく、今まで集まってきた人達の話しぶりとは一種の違った無遠慮さで、自分が見た騒動の話をしていましたのと、その立ち上がって帰る時に見た、お尻の処にダラリと不恰好にいかにも間のぬけたようにブラ下げた、田舎々々した白縮緬の兵児帯とが私の頭に残っていました。彼はまだその時までは、新宿辺で鍛冶屋の職人をしていたのです。
 彼が、しげしげと私の家に来るようになったのは、私共が、田端で火事に焼け出されて、滝野川の高台の家に越してからでした。
 それ程深い交渉がなく、そして彼が幾分か遠慮している間は、私もこの珍らしい、無学な、そしてそのわりにはなかなか物解りもよさそうな労働者を、興味深く眺めておりました。同志の間にも、彼の評判は非常によいのでした。が、やがて、彼がだんだんに無遠慮のハメをはずすようになってきた頃から、私は何となく、Yのすべての行為のどこかに、少しずつの誇張が伴い出してきたのを見のがすことができませんでした。
 無遠慮は、むしろ私共が、私共の家に来る人々には望むのでしたが、Yの無遠慮には、何となく私の眉をひそめさす、いやな誇張がありました。

 ああ! 漸く、ほんとにやうやく、今日もまた今のびのびと体を投げ出すことの出来る時が来ました。けれど、もう十一時半なんです。此の辺では真夜中なんです。そして、今日の裁判所での半日は、それでなくても疲れ切つてゐる私を、もうすつかりへとへとに疲らして仕舞ひました。
 出来るなら私は其処から真直ぐに家へ帰つて何も彼も投げ出して、寝床にころげ込みたいと思ひました。でも、南品川の叔父さんと叔母さんにお守りをされながら坊やが私を待つてゐるのです。私は虎の門で皆なと別れると真直ぐに新橋へ行つて坊やを迎へに急ぎました。
 大崎で電車を降りてから石ころの多い坂路を挽きにくさうにしてのぼつて行く俥夫のまるで走らないのを焦り/\しながらついて見ますと、坊やは大よろこびで私に飛びついて来ました。そして大元気でした。叔父さんも叔母さんもおとなしかつたと云つて喜んでゐました。可愛想に坊やも、私が毎日出歩いてゐるものですから、昼間はこの十日ばかりと云ふものちつとも私と一緒にゐられないのです。九時過ぎに、叔父さんに抱つこされて大崎まで送られて帰つて来ました。電車の中でいゝ工合に眠つて駒込で降りる時にもよく眠つてゐましたが俥の上で涼しいのでか眼をさまして、家まで来て蚊帳の中で一しきり遊んで今やつとまた眠つたところです。