伊藤 野枝 2

『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふ訓しへは甚だ結構な事です。一時『新らしい女』と云ふものが盛んにはやつた時には、大変なお転婆がいろんな奇抜な真似をして人目をおどろかしました。しかし、どんな勝手な真似をしても気持の上に、或るデリカシイを持つてゐなければならないと云ふ事は、其の当時そのお転婆の一人であつた私すら痛切に感じた程でした。私達は『新らしい女』の本家本元のやうに云はれてゐましたけれど、其の頃世間に輩出した所謂新らしい女の思ひ切つた行為には驚異の眼を見はつたものです。それは本当に馬鹿々々しい、苦々しい事を沢山見せられたり聞かせられたりしました。そして、さう云ふ人達の行為が皆んな私達のした事として、見当違ひな非難攻撃を皆んな受けなければならなかつたと云ふやうな苦い経験は、いよ/\私達に、エセ新らしがり屋を浅間しがらせたのです。
 あの当時問題になつた吉原行きとか五色の酒とか云ふ事を、まるで私達のすべてゞあるかのやうに云ひなした世間の馬鹿共よりは、それをまた麗々と真似をする連中に至つてはお話にもなんにもなりません。何の考へもないたゞの模倣と云ふことが、それ程馬鹿らしく見えた事はありません。

 嘘言を吐くと云ふことは悪いことだと私達はずつと小さい時から教へられて来ました。これは恐らく一番いけないことに違ひはありません。けれど私たちが今迄過ごして来たいろ/\なことについてふり返つて考へて見ますとき、私は何れの場合に於ても私の真実は恐らく――それが複雑であればある程、また心理的に傾く程、――一つも受け入れては貰へなかつたにもかゝはらず、私の虚偽は深ければ深い程都合よく受けられました。それは本当に偽りのない、真実な心として。
 私の単純な幼い心は、たゞ一途に年長者たちに受け入れられると云ふことですべては打ち消されて何の不安も罪悪も感じませんでした。けれども刻々に変化してゆく私の心はだん/\にそれ等のことに向つて目をみはつて来ました。私がぢつと自分の嘘を用ゐることについて見てゐて一番に見つけ出したことは、具体的な事柄について嘘を吐いたときにはそして、それが悪気のない一時のごまかしであればある程最も多くの叱責をうけました。しかしそれにしても、だん/\にずるくなつて来て嘘に技巧を用ゐるやうになれば大方はそれが現はれないですんで仕舞ひます。まして気持の上の偽はりとか何とかになりますと殆んど何の問題にもならず他人の目にもふれずにすんでしまひます。もしそれを強ひて正直に人に説明しやうとでもするが最後それは全く飛んでもない誤解をうけて思ひがけない結果をもたらします。

 ようやくこれだけいい出したのは冷たい床の中に二人してはいってから、よほどいろんなことを話して後だった。
「まあそう、だけどどうして黙ってなんか出てきたの、どんな事情で。さしつかえがないのなら話してね、私の所へなんかいつまでいてもいいことよ、いつまでもいらっしゃい、あなたがあきるまで――でも本当にどうして出てきたの」
「いずれ話してよ、でも今夜は御免なさいね、ずいぶん長い話なんですもの」
「そう、それじゃ今にゆっくり聞きましょう、あなたのいたいだけいらっしゃい。ほんとに心配しなくてもいいわ」
「ありがとう。安心したわ、ほんとにうれしい」
 こうした会話をかわしたきりに登志子は、一週間たつ今日までそのことについては何にも話さなかった。何にもかまわずぶちまけてしまうような性質な登志子が、話しにくそうな風なのでもって志保子はよほど大事なことだろうと思って強いてそれを聞くのを急ぎもしなかった。「今に時が来たら話すだろう」と思い思い過ごした。
 志保子はすぐ家の門を出ると見える所にある小学校に勤めていた。登志子は毎朝志保子を送って門まで出ては、黄色な菜の花の中を歩いていく友達の姿を見送った。そして室に帰ると手持無沙汰で考え込んではいつか昼になったことを知らされるのであった。